4. 中米編 – Panamá

パナマーコスタリカーニカラグア

こんにちは。 皆様お元気でしょうか。 鈴木徹です。 昨日、パナマの首都、パナマシティに来ました。 ヨットの旅は大変で、結局、天気次第の一週間、カリブ海の上にいました。 今も波に揺られている気がします。 ブラジルなど、南米に移民船で来られた方々はさぞかし大変だったことでしょう。

こんにちは。 お元気ですか。 中米がもうすぐ終わります。 報告します。文字化け、誤字脱字はご容赦ください。 報告 【パナマ~ニカラグア編】

2006年5月30日、南米を出発。  コロンビアからパナマの間は道がなく、陸路では行けない。海路を利用した。  コロンビアのカルタヘナ。カリブ海の港町。  ヨットハーバーに通い、パナマに行く船を見つけて交渉した。ヨットのオーナーは 金持ち欧米人ばかりで、カリブ海を周遊する途中でここに寄港している。  選んだ船は5人乗りの帆船。初めてのヨットだ。

ポルトガル人のキャプテン・カルロス、乗客は同い年くらいのチリ人青年、自分、 合わせて3人。  船の出港予定日、正午に港に行く。  しかし、カルロスはまだ準備ができていない。この日は停泊中のヨット内に泊まっ た。まぁ、ビールは飲み放題だったからいいけど。急ぎの旅ではないから、ちゃんと 目的地に届けてくれれば問題ない。

翌朝、カルロスはエンジンの修理を始める。一体いつ出発するのか。まぁ、ビール は飲み放題だったからいいけど。  結局、その日の夕方に港を出た。  外洋に出るまでエンジン航行。湾を出ると波がだんだん高くなってくる。潮の匂い が濃くなる。天気はいまいち。風が出てきた。昼は容赦なく暑いが、夜になると洋上 はけっこう冷える。  船首にある部屋で休んでいた。いきなり海水を浴びて跳び起きた。天窓が開いてい た。船底が海面にぶつかる衝撃。揺れが激しく、眠ることができない。  操舵甲板に出る。空も海も暗黒色。波は高く、風も強い。雨も混じる。ときどき波 をかぶる。  揺れに耐え、ただ時間が過ぎるのを待った。

夜が明ける。灰色の海は冷たく重そうに見える。雲は厚い。大きなうねりは船は持 ち上げて沈める。波は泡立ち、水平線を霞ませる。強い向かい風だ。  帆を張った。船が傾き、甲板の側面が海面に触れている。さらに、ななめ横から大 きな波を越える。転覆するかと思った。陸地も見えない海原、悪天候、船から放り出 されたら漂流する前に死ねる。不安でたまらない。  何回も吐いた。時間が長く感じた。  午後には波が小さくなった。しかし、船酔いは治らない。 夕方、真横から薄く陽が射した。イルカが泳いでいる。絵に描いたように飛び跳ねて いた。そんなことはどうでもいい。気持ち悪いのだ。

翌日から晴れた。酔いもだいぶ治まったが、それにしてもクソ暑い。水平線に島や 陸地を見つけようとする毎日。  当初、パナマまでは3日間の予定だった。そう説明された。  しかし、海には8日間いた。カリブ海をヨットでクルージング。響きは優雅だ が。  帆船なので天候次第ということになる。風向も海流も進行と逆だったので、大部分 はエンジンを使った。サンブラス諸島に着いたときは予備の燃料もなくなっていた。 ぎりぎりセーフ。  真っ黒に日焼けし、ときどきインディヘナ(原住民)と間違われた。俺のメラニン 達、ご苦労さまです。

それにしても、ポ人のキャプテン・カルロスには腹が立った。  船では横暴だった。舌打ちするし、Fuck offを連発する。とにかくムカついた。何 かある度にチリ青年と顔を見合わせ、「てめえがいちばんFuck offだ!!」と二人で陰 口をたたいた。カルロスが留守のとき、貴重な食糧から片っ端に食べまくった。ざま みろ。  航海中、イルカとは3回遭遇し、一緒に泳げたし、1m以上あるシイラを釣り上げて 食べた。金色の夕焼けは初めてだったし、甲板で星空を見ながら寝た。  滅多にできない経験には間違いない。でも、しばらく船上生活は勘弁願いたい。

サンブラス諸島はポルベニール島にイミグレーションがある。37カ国目、パナマに 入国。ここから中米が始まる。  このあたりは珊瑚礁でできた島ばかりで、無人島も多い。4畳くらいの小さい島 に、椰子が一本だけ生えている。家が一軒だけ建っている。しかも、ちゃんと人が住 んでいる。  まさにドラゴンボールのカメハウス。本当にウミガメもいる。こんな島が数十あ り、インディヘナのクナ族が暮らしている。  ここで素潜りして遊んだ。珊瑚も熱帯魚もきれいだったが、早く陸地に上がって休 みたかった。

ポルベニール島からモーターボートで2時間、小さな港に着く。本土の漁村だ。ま ず、売店に寄って冷えたコーラを飲んだ。思いっきり飲んだ。むせた。  地上はいい。どんなに田舎でも船の上よりは便利だ。  ここからコロンまで乗り合いバン。辺りは熱帯林の山と牧場。 舗装されていない赤土の道を走る。揺れがひどいが、ヨットに比べると屁でもない。 運転手のおっさんは道ですれ違う全員と挨拶していた。わざわざ車を止めるので遅 い。

コロンでパナマシティ行きのバスに乗り換える。この町はパナマ運河の要所だが、 かなり治安が悪そうだ。中米に来て初めて緊張した。
パナマシティまでは久しぶりの冷房付バス。 新市街にあるホステルにチェックイン。真っ先にシャワーを浴びた。8日分の海の塩 と俺の塩と垢。まだ体がしょっぱい感じだったので、もう一度入りなおす。すっき り。  知り合いに電話した。ブエノスアイレスのストリートで弾いているとき 「パナマに来ることがあったらぜひ寄ってください」ということで名刺をもらってい た。JAICAの職員で研修旅行に来ていた方だ。  電話すると早速、夕食に招かれた。  辻さんはパナマ運河にJAICAから派遣されて働いている。夫婦でパナマシティに住 んでいて、奥さんは活花を教えていた。  お宅にお邪魔し、久しぶりの日本の味、手料理にありつく。遠慮ができないくらい 美味かった。 「良かったら明日からここに泊まりなさい」ということだったので、翌日からお世話 になることにした。

パナマシティは白人が多い。英語も通じるところがある。運河は最近までアメリカ が管理していた。意外なのはユダヤ人や中国人がけっこういること。商業都市だから だろう。  中心部は高層ビルが多く、大都会を想わせる。  辻さん宅に滞在しながら、運河を見学したり、旧市街を案内してもらったり、大使 館でパスポートを増刷した。スタンプやビザでページがいっぱいになっていた。  辻さんが夕食会を開き、集まった友人の前で三味線を弾いた。奥さんに料理を教え てもらい、こちらは手打うどんを教えた。いろいろな話を聞いた。ニューヨークに娘 夫婦がいるので寄って行きなさいと言う。  本当に楽しかったです。ありがとうございます。

4日間もお世話になってしまった。移動を再開する。陸路でローカルバスを乗り継 ぎ、北上する。  パンアメリカンハイウェイは中米を貫通してアメリカ、カナダへと続く。パナマの 道路はちゃんと舗装されていて、バスも悪くない。  小さな町や牧草地を通り過ぎ、いくつも森と山を越えた。よく晴れていて、暑い。 今が雨季らしく、短時間のスコールが降る。

一気にコスタリカの国境まで来てしまった。  どうやら中米の国の多くは陸路で国境を越える際も出入国税がとられるらしい。く そっ。 この日は国境で日が暮れ、ここで泊まった。集落の周りは熱帯林のジャングル。  夜中も絶えず鳥の鳴き声が聞こえる。何十種類の鳥が一斉に鳴いているようで、で も、耳障りには思わなかった。

翌朝、サンホセ行きのバスの乗った。  出発前、ホームレスの男が 「今、日本とオーストラリアが戦っている 日本が勝っているぞ」と言っていた。  そういえば、W杯の最中だったっけ。試合を見たいが移動中だ。しばらくはテレビ が置いてある宿に泊まろうと思った。安ければ泊まろうと思った。  コスタリカも国土の大半は山地である。2000m以上ある山も多く、峠を越えるとき は半袖では寒い。  中米は4000m級の山もある。太平洋側に海溝があり、陸地には火山が列を成してい る。地震も多い。  熱帯林は降水量や高度の違いで、熱帯雨林、熱帯乾燥林、熱帯噴霧林に分かれる。 自然保護区も多く、貴重な動植物が多い。

“Costa Rica”とは富める海岸の意。自然が豊かなところだ。  首都のサンホセで日本人旅行者に会った。気になっていたオーストラリア戦の結果 を聞く。しかし、言葉を濁して教えてくれない。後で別の人に聞くと、最終的に逆転 され、内容は散々だったらしい。クロアチア戦やブラジル戦も、結局日本の試合は一 つも見れなかった。残念。  コスタリカもW杯に出場している。街頭テレビの下では、自国の試合でもないのに 皆足を止めて観戦していた。すごい盛り上がりだ。

サッカー人気は知っていたが、中米に入ってバスケットコートや野球場を見かける ことが増えた。  ニカラグア方面へ向かった。途中の町で一泊し、国境を越える。  ニカラグアに入るとすぐに湖がある。ニカラグア湖。そこにある火山島は、淡水湖 に浮かぶ中では世界一大きな島らしい。  広大な農場の中を走る。丘がいくつも連なり、あまりきれいではない湖ときれいな 円錐形の火山が見える。バスは窓全開で熱い空気が吹き抜ける。サルサが大音量でか かっていた。

酔っ払った若い男数人に囲まれた。 「お前はチーナ(中国人)か」と聞かれる。 「ハポネス(日本人)だ」 そしてSUZUKIと名乗ると、兄ちゃんたちは 「俺はYAMAHAを持ってるぜ」 「俺はKAWASAKIだ」と言って喜び、ビールをくれた。 一緒にバスの中で乾杯した。 「おい、アミーゴ、今乗ってきた女の尻、どう思う??」 「んー、最高だねー。Viva Nicaragua!!」 「そうだろう。ところで、日本の女はどうだ??」 そしてまた飲む。 そして乗り過ごす。しまった。  湖の北にあるグラナダの町。ここで少し滞在した。  バックパックを洗い、荷物を整理した。カリブ海を航海中、荷物が海水に浸かって べたべたしていた。  天気がいいところだったので、のんびり仕度をしながら過ごした。それにしても暑 いところだ。

メルカド(市場)は雑多で人が多く騒がしい。汚いがこの混沌とした雰囲気は好き だ。物価が安い国も好きだ。宿は1泊350円、外食して100円あれば釣りが来る。  屋台や物売りがたくさんいる。うっとおしいけど、何かほっとする。ビニール袋に 入ったジュースを買ってよく飲んだ。  首都のマナグアは良い噂を聞かない。ピストル強盗に遭ったという話もよく聞く。 マナグアでは泊まらず、通過することにした。

中米で内戦を経験していない国は少ない。つい10年前に停戦したところもあり、そ のときに大量の国内難民や失業者、大量の銃器が出回った。そんな背景もあって、治 安はすこぶる悪い。とくに大都市。麻薬絡みも多く、組織的な犯罪もあるようだ。 「犯罪は歴史と政府と人が作っている」誰かが言っていた。  この国はかわいい女の子が多かった気がする。混血やインディヘナ比率が高い。 人々は明るく親切だった。困っていると必ず助けてくれる。
スペインの植民地支配、インディヘナへの弾圧、独裁政権下の内戦や虐殺、暗い過 去を持つ中米の各国。歴史は複雑だ。 しかし、人は強い。その“強さ”を感じることが多かった。 報告 【ホンジュラス~メキシコ編】に続く 鈴木徹   SUZUKI TORU (TETSU) 8/12

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