5. 北米編 – América do Norte

皆様お元気ですか?

こちらは2カ月間の北米も終わりました。
今までゆっくりだったたからあっという間でした。
物価も高かったから早くて丁度いいくらいです。

結局ニューヨークは日中のみの滞在で、すぐにバスで移動してしまいました。
せっかくでしたが、わざわざNY支部への連絡、ありがとうございました。

いま、こちらはニュージーランドです。
一昨日着いたばかりで、初めて時差ぼけになりました。
またメールいたします。
毎度長文で申し訳ない。

報告【北米編】

8月14日、メキシコシティを出発した。
出発直前にマイアミにいる友人から連絡があり、
「もしマイアミに来るなら滞在中かかる費用は全て持つよ」
最初の進路はフロリダ方面に決定した。

テキサス州ラレード。ここから入国する。
そしてこの国境でも捕まった。最近、本当によく捕まる。
テロ活動防止云々で入国審査が厳しくなっているのは知っていた。だから、整髪して、髭を剃り、いちばんいい服を着て、靴もちゃんと履いて、万全の態勢で挑んだ。 なのに結果は別室送り。

部屋には手錠につながれた人たちがたくさんいた。泣いている人、必死で抗議している人。堅気そうなおばちゃんも御用になっている。メキシコからは出稼ぎで不正入国する人が多い。彼らもなにか不備があったのだろう。
自分は持っているIDやクレジットカード、書類関係一切が預けられ、荷物もすべてチェックされた。同じような質問が何回も繰り返され、結局、3時間拘束された後に開放された。
おそらく自分の場合は、長期旅行であること、陸路入国であること、イスラム圏のビザやスタンプがあること、就労目的の疑いなど、いろいろ問題があったのだろう。 最初からこれだ。この先が思いやられた。

ともあれ無事に44カ国目、アメリカ合衆国・USAに入った。 この国境の町でアメリカとカナダを走るグレイハウンドバスの乗り放題パスを購入。バスの 中で移動しながら寝れば宿代も浮く。 マイアミまでは約46時間。サンアントニオ、ヒューストン、オーランドで乗り換えた。

久しぶりの英語圏と思いきや、スペイン語が話されている。黒人比率が高いのも南部だからだろう。それにしても暑い。 太ってる人の多さに驚く。ただの肥 満じゃない。病気だ。それもそのはず、食べ物がすごい。低栄養高カロリーの極みだ。それに量が違う。この食生活はふつうの日本人は耐えられないだろ う。(貧乏な自分にはちょうどよかったが)

マイアミに到着。友人と合流し、頼んでおいた救援物資も受け取った。 高校からの友人、佐野くんはマイアミの大学院で生物工学を勉強している。 しかし、到着したときは家がなく、家が見つかるまでモーテル暮らし。Ecstasy Motel。怪しい名前だ。
滞在中、貧乏ひとり旅では味わえないような美味い(ふつうの)飯や酒をいっぱいご馳走になった。車をレンタルしてマイアミビーチやキーウェストにも行っ てしまった。 この旅始まって以来の優雅な暮らしだった。モーテルだけど。 佐野くんのところに2週間ちょっと世話になった。

北米大陸の最終目的地、アラスカに向けて出発した。ニューヨークに行く。

今までも1000万人を越えるような大都市をいくつも見てきた。でも、ニューヨークは違って見えた。おそらく現在の地球の文明の頂点がここにある。 摩 天楼や通りを歩く複雑で雑多な人々。街全体が博物館のようだった。 グランドゼロに行った。 ビル群のなかに空き地がある。一見すればただの工事現場でし かない。 当時の写真がパネルで展示されている。衝撃的な映像、故人碑と遺物、フェンスに差し込まれた花束。その前にホットドッグの屋台が建ち、人々は記 念撮影をしてい
た。フェンスに囲まれた外は観光地化されている。 つまり、他人の痛みは自分には関係ないということだ。テロでたくさん人が死のうと、どこかで戦争があってたくさん人が死のうと、直接関わりがなければ結局どうでもいい。

確かにその通りだ。年月は忘却を加速させる。人間は優秀だ。だから歴史は繰り返すのか。
今、この跡地をどうするか論議されている。市当局と被害者や遺族の意見が合わないのは当然だろう。 『Remember 9.11』の看板が色褪せていた。

主要都市はだいたい回ったが、全部トランジットだった。 シカゴ、セントルイス、カンザス、デンバー、ソルトレイク、シアトル。そしてカナダに入った。

バンクーバー、プリンスジョージ、ドーソンクリークでバスを乗り継ぎ、ユーコンの州都ホワイトホースまで来た。ここがバス路線の終点。 これより先はヒッチハイク。
フェアバンクスまでは週3本のバスもあるがUS180ドルもする。高い。(これで何回腹いっぱいに飯が食えるのか)それにフェアバンクスより北は公共交通が一切ない。

ここから最終目的地、プルドーベイまで片道2300km。町は数えられるしかない。あとは大自然だけだ。 それにしても寒い。ここまで来る途中にもすで に雪は降っていた。 貧弱な防寒具だが、ないものは仕方ない。寒いが行くしかない。 三味線などの荷物は置いていく。テント、寝袋、食料など、必要最低限 の装備。 北極圏へ出発した。

プルドーベイ(PrudoeBay)、またの名をデッドホース(Deadhorse)。北緯70度、北極海沿岸の町。
パイプラインの延びる先、ツンドラの大平原にぽつんと小さな町がある。町と言っても石油関連の施設しかなく、住んでいる人も運送会社や石油基地で働く人ばかり。

ついに北極海は見えなかった。
海沿いには石油の採掘基地があり、警備があるのでたどり着けない。 しかし、やっとここまで来れた。 南米の最南端、ウシュアイアを出たのが今年の1 月。南北アメリカ大陸を陸路で縦断したのだ。 誰かに褒めてほしくてやっているわけではない。そこに到達したことが証明されなくてもいい。でも、確かに自 分はそこにいた。ただの自己満足にすぎない。 ウシュアイアにあった“道の終わり”を思い出す。『ここに 地 終わり 海 始まる』

この碑を見て、アラスカに行くことを決めた。できたら同じ道の果てで海を見たいと思った。
道の果てに北極海はなかった。それだけが残念だった。

ホワイトホースを出てから10日間。
この間に見た景色、出会った人たちは生涯忘れないだろう。 偉大な冒険家たちが何故アラスカに惹かれ、ここに多くを費やしたのか。そのわけが今少しわか る気がする。 黒々とした高峰には越年した新たに降った雪が覆っている。 広大な森は針葉樹の深い緑と落葉樹の鮮やかな黄。
ツンドラも紅葉して赤や茶やオレンジのモザイクを作っている。 空は紺碧。高い雲が流れている。早い月が昇っている。 鏡になった湖にもうひとつの世界 が映る。 眩しい大地。眩しい大空。夕陽がすべての色を濃くする。 暗闇のなかに星がよく見える。 張りつめた大気が皮膚を刺す。 夜空一面の光の帯。光 は束になり激しく動く。色を変えて輝く。 落ち葉と土と雪の匂い。秋と冬と夜の冷たい匂い。 不規則に風が擦れる音。森の音。川の音。山の音。
自分の呼吸と心臓の音。

夜、テントの外を見るとオーロラがあった。
カリブーやムース、たくさんの野生動物がいた。すべての景色を表現する言葉がない。 感じたものをいちいち直す必要もない。 ただ感動した。

ヒッチハイクで乗せてもらったネイティブアメリカン(インディヘナ)の人たちと仲良くなり、家に招かれた。 周りに民家も牧場も何もない。森に囲まれた 丘の上、手作りの家。彼らはカーラジオで歌い、踊る。川で穫れた鮭をご馳走してくれた。大切な酒も食料もわけてくれた。別れ際、白頭鷲の羽根でお守りを 作ってくれた。
「私たちは、これにあなたの旅の成功を祈り、願いを込めた。私たちは、あなたの帰りを待っている。」 スケッチブックに書き込まれたメッセージ。 こんな人たちにたくさん会った。何回も泣いてしまった。

バンクーバーまで戻って来て思うことがあった。この街はきれいだった。しかし、何か切ない。アメリカ本土に戻って、さらに感じた。ただ人が多いとか自然 が少ないとかではない。 物質と精神のバランス。豊かな物質社会と貧しい精神活動。 アラスカやカナダでの生活とギャップが大きかった。いろいろ考えさせ られることが多かった。 誰もが知っている国、世界のアメリカ。気が付けば矛盾が多い国だ。同じ移民で構成された国だが、ブラジルとは全然違う。 個人的 にこの国は好きではないが、勉強したことがたくさんあった。

これからニュージーランドへ飛ぶ。最後の大陸も目前だ。
世界一周もあと少し。

所在地・連絡先 – Localização・Contato

住 所:
Rua Tomaz Gonzaga 95-M
Liberdade - São Paulo - SP - Brasil, CEP: 01506-020

Tel. / Fax.: +55 (011) 3207-2383

E-mail: iwate@iwate.org.br

岩手県人会館はサンパウロの中心地にあり、地下鉄リベルダーデ駅より徒歩5分。近くには日本食品店、レストラン、ホテル、大学、病院、また、日系人の中心であるブラジル日本文化福祉協会、サンパウロ日伯援護協会(総合診療所、病院、援護施設)、それ以外にも10余の県人会や旅行社、銀行、邦字新聞社などがあります。